ウードが奏でる静寂 arab-music.com
松田嘉子のエッセー No.12

ウードが奏でる静寂
〜 チュニジア映画『ある歌い女の思い出』の音楽をめぐって



ある歌い女の思い出  チュニジア映画として日本初の商業劇場公開作品である『ある歌い女の思い出』は、1950年代半ばのチュニジア、ベイ(太守)の館を舞台としている。主人公の少女アリアは、館で働く召使いの女を母に持つ。映画には当時の音楽的状況が反映され、ストーリーにおいても、歌や音楽が多様な意味を担っている。
 ラジオやレコード・プレイヤーから流れてくるのは、エジプトの偉大な女性歌手、ウンム・クルスームの歌声である。アリアもその歌を歌うことで、館のサロンに迎え入れられる。第一級の詩人と作曲家の手になり、アラブ音楽の真髄を表すウンム・クルスームの歌は、上流階級に愛好され、さらに20世紀のメディアの発展にも支えられて、広くアラブ世界の聴衆の心をとらえた。死後4半世紀を経た今も、絶大な人気を誇っている。
 映画に登場する弦楽器ウードは、アラブ古典音楽の主要な楽器の一つ。ヨーロッパのリュートの直接の祖先である。優美な形状と、深い響き。古来より歌手や作曲家にもっとも愛されてきたが、演奏には学識と熟練を要する。
 ウードは、召使いの身分のアリアには、本来手の届かないものだった。しかしアリアはそれを得ることで、音楽への情熱のみならず、上昇志向をも体現している。そんなアリアの姿は、フランスの植民地支配から必死に脱しようとする、独立前夜のチュニジアの姿と重なり合う。
 上流階級の趣味を象徴するウードとウンム・クルスーム。一方、召使いの女たちが歌う生活の歌や民謡。また、映画のクライマックスで、アリアが突然歌うのは、支配階級の人々にとっては不快な反体制の歌、チュニジアを思う愛国歌であった(この場面を最後に、少女アリアは館と決別する)。
 そんな幅広いジャンルの音楽を扱い、すべての音楽的なディレクションを行ったのは、チュニジアのウード奏者、アヌワル・ブラヒムである。また、アヌワルはもちろん自分自身の音楽も、この映画に用いている。彼の弾く繊細なウードの音が、この映画でもっとも重要な「静寂」とはりつめた空気を、いっそう強調する。
 アヌワルはウードの巨匠アリ・スリティ門下であり、私の友人でもある。先月私は「アンサンブル・ヤスミン」 のウード奏者として、チュニジアでコンサートツアーを行なった。今回はスケジュールが合わず、会えなくて残念だったが、以前この映画が「館の沈黙」のタイトルで上映された時(97年アフリカ映画祭)、カタログに解説を書いたので、彼には詳しい質問をした。アリアの歌声は、すべて当時15才のソニア・ラレッシ(とても美しい声の新人)による吹き替えだという。また愛国歌は87年にアヌワルが作曲し、もともとの詩はチュニジアの詩人アリ・ルアティが、エルサレム帰属問題をテーマにしたもの。映画の主題に合うよう、ルアティに歌詞を少し書き換えてもらったそうだ。
 きめ細やかな映像と、品格あるアヌワル・ブラヒムの音楽があいまって、この映画はたぐいまれな芸術性を持ち得ている。チュニジアの歴史や女性の生き方という主題に加え、アラブ音楽の奥深さを味わえる映画として、数ある優れたチュニジア映画の中で、私がもっとも推したい作品の一つである。

*『ある歌い女の思い出』(ムフィーダ・トゥラートリ監督、1994年)は、東京中野武蔵野ホールで3月2日まで公開中。詳しくはエスパス・サロウのページへ。

2001年2月23日付東京新聞夕刊・第4面芸術欄に掲載したものを転載しました。

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