祝福の位相 arab-music.com
松田嘉子のエッセー No.14

観世平成16年3月号表紙 祝福の位相
− 月刊「観世」2004年3月号・巻頭随筆 -


 昨年十二月、私はアラブ古典音楽アンサンブル「ル・クラブ・バシュラフ」のウード奏者として、バハレーン王国に招待され、国立シェイク・イブラヒム・センターでコンサートを行った。バハレーンは中東湾岸にあり、古代ディルムーン文明以来の長い歴史を有する美しい島国である。現在は十八世紀にアラビア半島から移住したハリーファ家が統治する。十二月は気候も温暖、人々の心も温かくオープンであった。
 バハレーン情報省文化担当官シェイハ・メイが、私たち三人を招聘してくれた。シェイハ・メイは王族ハリーファ家の一員で、国の文化遺産の継承発展に情熱を注ぐ女性である。日本からアラブ音楽の演奏家が来るというので、現地では期待が高まっており、二時間あまりに及んだコンサートは熱気に包まれた。「ブラボー !」の声も飛び交い、最後は観客全員のスタンディング・オーべーションとなった。
 アラブ音楽は、演奏家と聴衆が一緒になって作り出すものである。それが顕著なものに、タクスィームというジャンルがある。それは器楽奏者が、伝統をふまえながら、自己の音楽的教養と感性を駆使して一人で行う即興演奏である。無から音楽を構築してゆくプロセスは孤独な営為だが、それを行う演奏家の精神状態には、聴衆の反応が大きく影響する。芸術に理解の深い聴衆は、繰り出される音に寄り添い、美しいと感じれば、ため息やうなり声を発する。演奏中でもしばしば拍手が起こる。それは観客から演奏者に対して送られる、一種の同意や共感、さらには激励の合図である。そんな反応を身に受けて、演奏家はいわば聴き手を味方につけながら演奏してゆく。すでに拍手を誘いこむようにして最後の音に向かって駆け降りる時、方々から「アッラー、アッラー !」という声があがる。演奏家と聴衆は一体化し、恍惚(アラビア語でタラブという)の瞬間を共有する。
 今まで何度か能を見る機会を得た。能は音楽のステージではないし、単純に比較できないが、日本の芸術の中でも能の舞台はたいへん静謐で、観客はあたかも自分の存在を消しているかのように冷静に見守っている、という印象を受けた。世阿弥に「離見の見」という言葉があるそうだ。演者は離見、すなわち観客からの客観的な眼差しを意識し、それをフィードバックして自己の姿を律するということだろうか。つまり観客は演者に対する鏡面のような視線と化すことで、能という比類ない異空間に溶け込んでいる。おそらくそれもまた、演者と観客の一体化であり、演者を内側から支える強靱な推進力となるものではないか、と思った。
 一方は熱く声をあげる動の祝福、他方は陰影に富む静の祝福。正反対のアプローチのように見えて、どちらも芸術表現の極みに到達する、それぞれの存在の仕方が興味深い。

檜書店「観世」平成16年3月号に執筆したものを転載しました。

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