《アンサンブル・ヤスミン》チュニジア公演・新聞紹介記事(ル・ルヌーヴォ紙) アラブ音楽
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コンサート前の新聞紹介記事(筆者:ナディア・テイムール)


2001年1月23日(火)付《ル・ルヌーヴォ》紙(チュニジア)・・・・・・・・(画像をクリックすると拡大できます)

ルヌーヴォ新聞記事
第14面文化欄--音楽--
日本のアンサンブル・ヤスミン、
今晩カトリエム・アールで最終公演
「コンニチハ、チュニジア!」

 本記事の見出しがエキゾティックに響くとしても、意味はじつにシンプルで、「ボンジュール、チュニジア!」ということである。現在チュニジアでコンサート・ツアー中の、アンサンブル・ヤスミンの6人のメンバーが、声をそろえて言った。モナスティール、スファックスでの公演を終えて、この日本人音楽家たちは今晩、カトリエム・アール劇場で今回のツアーの幕を閉じる。チュニジア文化省後援のもと、国立文化委員会と日本大使館主催で行われたこのツアーは、喜ばしい発見であった。実際、アンサンブル・ヤスミンは、日本音楽を披露する側面を持ちながら、チュニジア音楽にレパートリーの多くを割いたグループなのである。まずはこのグループの起源にさかのぼってみたい。

ル・クラブ・バシュラフのはじまり

 1989年、巨匠アリ・スリティが日本で行なったコンサート・ツアーは、観客および批評家たちの間に大成功をおさめた。このコンサートの一つに、若い二人の日本人、松田嘉子と竹間ジュンは感銘を受け、アラブ音楽の道を進む決意をする。数ヶ月後チュニジアに旅立ち、高等音楽院へ入った。数年の修行を経た後、目覚ましい成果が得られる。アリ・スリティの指導のもと、松田嘉子はウードのスペシャリストになり、音楽学者サラーフ・アル・マハディの著書を翻訳する。ナイを専門とする竹間ジュンは、スラーフエッディン・マナーに教えを受け、日本に帰って、松田とともに日本で初めてのアラブ音楽アンサンブルを創設する。そこに三人目の仲間、エジプトで三年過ごしたヴァイオリン奏者西田ひろみが、この歩みに加わりたいと思った。
 こうしてこの三人によりル・クラブ・バシュラフが誕生した。そのレパートリーの多くはアラボ=アンダルース音楽である。結成後、ル・クラブ・バシュラフは日本各地でコンサートを行い、在日本チュニジア大使館の支援のもとでも、多くの演奏会を行なった。そしてこのトリオは、この意義ある道を歩み続けることを決意するとともに、前代未聞の音楽的混交という、明晰なアイデアを持った。
 それは、アラブと日本の伝統を融合させることだった。こうして、アンサンブル・ヤスミンが生まれる。日本古典音楽のヴィルチュオーソである三人を加え、ル・クラブ・バシュラフは、それまで目立った親和性も知られていなかった二つの伝統を調和させるという、画期的なアプローチを取ったのである。

チュニジア=日本の芳香

 アンサンブルとしてはアラブ世界で初めて公演する、日出づる国から来たこのジャスミンたちは、昨日の月曜日、記者会見を行ない、それぞれ自分たちの歩みを語り、また楽器の説明をまじえながら、デモンストレーションを行なった。菅原久仁義は、尺八でメロディを吹いた。尺八は、竹製の五孔の笛である。丸田美紀と池上眞吾は、箏と三味線を弾いた。
 アラブ音楽の伝統に組み込まれた音楽家たちは、各自の経験を語り、また何年か修行したチュニジアの地に、再びまみえる喜びを語った。そしてもちろん皆は、チュニジアにおけるアンサンブル・ヤスミン最終公演を、とても重要と考えている。今夜のプログラムが、出席した記者たちに提示された。ケマイエス・テルナンの曲が3曲、ムハンマド・トゥリーキーのサマイが1曲、マルーフのワスラが2つ含まれるなど、チュニジア音楽に重点が置かれている。また、第一部では日本の曲が4曲披露される。そして最終部では「タフティル・ヤスミナ」が演奏されるなど、記念すべき夕べになることは間違いない。  ナディア・テイムール(フォト・ルポルタージュ: ヤスィン・シャランディ) / 松田嘉子訳(原文フランス語)


ル・ルヌーヴォ紙のページ(http://www.tunisieinfo.com/LeRenouveau/)



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