《アンサンブル・ヤスミン》チュニジア公演・新聞レビュー記事(ル・ルヌーヴォ紙) アラブ音楽
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2001年1月23日チュニス〈カトリエム・アール劇場〉でのコンサート・新聞評(筆者:バッサム・ブネンニ)


2001年1月25日(木)付《ル・ルヌーヴォ》紙(チュニジア)・・・・・・・・(画像をクリックすると拡大できます)

第1面(紙面紹介)
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火曜夜、カトリエム・アール劇場にて、日出づる国より来た「ヤスミン」という名の音楽アンサンブルによる夢幻劇が、多くの観客を酔わせた。これはチュニジアにおいて未曾有の音楽的な混血の出来事である。最初に日本音楽、次にケマイエス・テルナンの曲を含む純粋で高尚なチュニジア音楽を奏し、そして最後は両者を融合する錬金術で、アンダルシア風の歌と、日本の歌が交替するのだった・・・ (14面文化欄に記事)






ルヌーヴォ新聞記事
第14面(文化欄--音楽)
アンサンブル・ヤスミン
日出づる国にも、チュニジアあり

カトリエム・アール劇場は、火曜夜、この音楽的な季節のうち、もっとも注目すべき機会の一つである、日本のアンサンブル・ヤスミンによるコンサートを催した。 チュニジアにおいて初ツアーを行なったこのアンサンブルは、チュニジアおよびアラボ=アンダルース音楽と、遙か遠い東洋の音楽との、前代未聞の混血に立ち会おうと、数多く押し寄せた聴衆の、高い期待に応えたのである。

アンサンブル・ヤスミンが、日本のアラブ音楽グループ「ル・クラブ・バシュラフ」の3人を含むと告知されていたとは言え、公演前、聴衆の中には、かけ離れた二つの遺産、二つの文化、二つの文明の音楽的な混交というアイデアに、懐疑的な者もいた。
 その夕べのプログラムは、日本の古典音楽によって始まった。それはその超越性にもかかわらず、我々の内側ではいまだほとんどメディア化されていなかった音楽である。この第一部において我々は、極東の地の深奥から来る伝説によってのみ語られていた、真の芸術家たちを発見することができた。日本の笛・尺八の奏者菅原久仁義、日本の楽器・箏(十三絃)の奏者池上眞吾、そしてうっとりするほど美しい丸田美紀(箏と唄)が、日本の賢人に特有というべき、音楽的な能力と、信じられないほどの芸術的技巧性で、聴衆を魅了した。
 つぎは、本物のチュニジア音楽を演奏する3人の番だった。この女性トリオは、この分野にたいへん博識であり、アラブ音楽のディプロームを取得している。さらには、各人が偉大な教授たちに教えを受けるという恩恵に浴した。名前をあげれば、チュニジア側ではアリ・スリティ、スラーフエッディン・マナー、エジプト側ではハムザ・エルディンやアブド・ ダーゲルなどである。
 そしてこのウード奏者、ヴァイオリン奏者、ナイ奏者は、この夕べの最初にあった観客からの挑戦を、受けて立つことができた。この第二部において、ケマイエス・テルナン作曲の「ラッビ・アーターニー・クッル・シャイ」や「ヤッリー・ブアディク・ダイア・ファクリ」など、我々の音楽遺産に深く根ざした楽曲演奏の数々は、高く評価された。日本人によるそれらの再現は聴衆に賞賛され、アカデミックな人々や保守主義者たちの猜疑心は払拭された。聴衆はこの魅惑的かつ明晰な演奏に、拍手喝采を惜しまなかった。マルーフは、我々の音楽遺産における《奥義》ではなかったのだろうか?
 この美しい「チュニジア=日本」の夕べは、日本の歌とチュニジアの歌の取り合わせで見事に幕を閉じた。それは、異なる文明間において、何の障害も分裂もなく、ある種の芸術的協議、多文化主義に到達できるという可能性を、今一度示してくれる取り合わせであった。
 最後はケマイエス・テルナン作曲の「キフ・ダール・カースィル・ホブ」と、象徴的な「シディ・マンスール」のルフランという、たっぷり楽しまされるフィナーレだった。
 このコンサートの経験前(ア・プリオリ)には、こう思ったものだ。「チュニジア音楽と日本音楽に、何の関係があるのか」と。しかし経験後(ア・ポステリオリ)は、いくつかの共通の特質が、両者を関係づけている。意志を持ってすれば、趣味も多種多様な聴衆の要求に応えられる完璧さに到達することも可能なのである・・・。  バッサム・ブネンニ (写真・サミール・コシュバティ) / 松田嘉子訳(原文フランス語)



ル・ルヌーヴォ紙のページ(http://www.tunisieinfo.com/LeRenouveau/)



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